昔は今よりも好き勝手に色々なことを書いていて、それはただの本心だからこそ他人に届く言葉だったような気がする。
今は割と無難に、本心に抑制をかけて、言葉を連ねることが出来るようになった。
ではそれは美徳なのか。
確かに必要なことだけれど凡てに抑制をかけてしまったら、自分の中で軋轢が生まれる。
それを見ない振りし続けるだけのつまらない人間にはなりたくない。
見ない振りは流される分には楽だけど、せっかく自分が自分を好き勝手に出来る権限があるんだから、そんなのは嫌だ。
往々にして本心は触りたくもないようなヘドロになっていたりもするけれど、それは掃除をサボっていた罰なんだろうね。